大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和63年(う)11号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人両名の弁護人竹中敏彦、同福山素士が連名で差し出した控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官遠藤源太郎が差し出した答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用し、これに対し次のとおり判断する。

所論は要するに、原判決は労働安全衛生法一四条の定める作業主任者(地山掘削作業主任者及び土止め支保工作業主任者。以下、各作業主任者という。)の選任に関し、被告人株式会社甲野企業(以下、被告人会社という。)が右各作業主任者を選任すべき「事業者」である旨判断しているが、各作業主任者の選任義務は本件工事の元請である株式会社乙山建設(以下、乙山建設という。)にあるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があって破棄を免れない、というのである。

所論にかんがみ記録を精査し原審において取り調べた証拠を検討するのに、原判示の事実は原判決挙示の各証拠によって優に認めることができ、原判決が「主な争点に対する判断」の項で説示するところはこれを正当として是認することができる。所論によると、労働安全衛生法一四条の「事業者」の意義については、同法の立法趣旨から労働者の安全を確保するには誰に対し各作業主任者の選任についての法的義務を科せばよいかという見地から解釈すべく、元請と下請労働者との間に直接の雇用関係がない場合でも実質的な指揮監督関係があり、元請において労働者の安全を確保すべき立場にあるような場合は、その元請が「事業者」であると認定すべきであるとして、本件工事については乙山建設が「事業主」に該当する、というのである。そこで、この点について検討するのに、同法一四条は労働法上の事業者の安全配慮義務を定めた規定であって、労働者を直接その支配下に置いてこれを指揮監督する法律関係が認められる場合において、法定の危険業務に従事させるときは、その雇用主である「事業者」に各作業主任者選任義務を負わせているものである。これを本件についてみると、原判決挙示の証拠によれば、被告人Yは、被告人会社の取締役であり、その実質的経営者として従業員に対する安全管理等の経営全般を統轄する地位にあるものであり、被告人会社は土木工事、ビル解体及び舗装工事等を目的とする資本金二一〇〇万円、従業員一六名、昭和六〇年度年間受注金額約三億円の中堅企業であるところ、熊本市が発注する近見汚水五号幹線技線下水道工事(以下、本件工事という。)の指名競争入札に関し、株式会社乙山建設(従業員五名、常備人夫なし、昭和六〇年度受注金額約一億五〇〇〇万円)が総工費七〇一〇万円で落札したため、右入札に参加し結局落札できなかった被告人会社は、乙山建設と話合いの結果、昭和六〇年八月二六日本件工事(総工事延長約八一九・五メートル)の約半分(川尻地区の工事延長約二三四メートル及び八幡地区の内北側部分の工事延長約一一四メートル)を乙山建設から下請けすることになり、右工事代金として総工費の半額から乙山建設が管理費として取得する一三パーセントを差し引いた三〇四九万三五〇〇円を下請代金とする工事請負契約を締結したこと、本件工事は水道管を埋設するため車両系建設機械(バックホー以下、重機という。)を使用して掘削面の高さ約二・五メートルの地山を掘削する工事であり、そのためには土止め支保工の組立作業をする必要があったので右両地区は、いずれも作業主任技能講習を修了した作業主任者を選任配置したうえその者に作業の指揮をとれせなければならないところ、昭和六〇年九月初めころ被告人Yから指示されたA(有資格者)が川尻地区に現場監督として派遣され、乙山建設のB(有資格者)から現場の図面をもらい同地区の作業に従事し、次いで同地区から約一二〇〇メートル離れた八幡地区にはC(土木管理技師及び重機運転のみ有資格)が現場監督として派遣されたためAは同人に同地区の施工を任せたこと、Cは九月一〇日ころBの説明を受けて八幡地区のうち乙山建設の現場と隣接する反対側約一〇〇メートル離れたところから作業を始めたところ、各作業主任者の資格を有しないもののこの種工事の施工の経験があったことから同年一〇月二日に重機運転手の不在のまま自ら重機運転をし、かつ、現場監督として工事の遂行を指揮し、D(アルバイト)をして土止め支保工の組立作業に従事させていたところ、土砂崩壊により同人が死亡する労災事故が発生したことが認められるのであって、右認定の事実に徴すると、被告人会社が、乙山建設とは独立した作業現場において下請会社として本件工事を遂行したものであって、その雇用する労働者の安全を確保すべき立場にあった「事業者」に該当することは否定できないところであって、元請と下請労働者との間に実質的な指揮監督関係があるとして元請の乙山建設が右「事業者」に該当する旨の所論は採用できない(被告人Yは司法警察員に対する供述調書において「本件工事に関し人員、材料、機械工具等一切私の会社のものを使用し、費用も出来高計算であり、独立採算制による下請だったと思っております。」と供述している。)。また所論は、本件工事に関し、入札前、乙山建設と被告人会社との間で工事請負契約を締結する際、乙山建設において各作業主任者を選任する旨の合意が成立したと主張するが、右主張に副う証人E及び被告人の原審各供述はEの検察官調書及び証人Fの原審証言と対比してたやすく信用しがたく、他に右事実を認めるに足る適切な証拠はない。もっとも、関係証拠によると、すでに認定したように乙山建設が一三パーセントの管理費を取得する旨の合意が成立したことは認められるけれども、原審証人B、同Fの各供述によれば、右管理費というのは、元請が受注した工事請負代金と同額の代金のまま当該工事を下請に出したのでは元請の経営が成り立たなくなるため、一般的な経費として元請が下請から工事額の一割ないし二割程度の金員を徴するのが業界の実情であった(このことは被告人も司法警察員に対する昭和六一年六月一三日付供述調書謄本で認めている。)というのであるから、右管理費についての合意があるからといって、元請の乙山建設が被告人会社に対して作業主任者を選任することを約諾した事実を肯定することはできない。

その他所論にかんがみ記録を調査し、原審において取り調べた証拠を検討しても、原判決に所論の事実誤認があるとは認められない。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条に則り本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 淺野芳朗 裁判官 金澤英一 吉武克洋)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例